2009年06月18日

範疇にハードやソフトの両面で調査研究することを

概念の範疇にハードやソフトの両面で調査研究することを指すが その範囲は地域や都市、社会基盤から建築、ランドスケープ、インテリアなどの場所、空間などが含まれ、対象は家具などから、山野の自然、農山村、広場、公園などの地域対象そのものおよび相互の関係性を理解分析しデザインすることである。そして地図等で土地のもつ特徴を全体的に理解し、マスタープランを通じて一定の広がりをもつ地域の計画・設計立案を行うこと、地区の課題を分析し、計画を導くこと、自然資源をいかした生活基盤整備(風力発電、太陽光発電等)、都市緑化、自然保全などによる都市と自然との調和を保つこと、文化、歴史、自然資源と観光、都市機能拡大等の地域間開発の調和をとること、地域、都心、街区等の景観形成を行うこと、個々の建築や空間の外装、内装をデザインするなどである。また、人の技術醸成、教育も環境デザインの範疇であり、計画のマネジメント・プロデュースを行うことも含まれる。個別のデザインに留まることなく、それを取り巻く周辺環境にも考慮する点が特徴である。
更年期障害
映画音楽
アルツハイマー病
オリエンテーリング
関節炎
人間工学
甲状腺疾患
環境工学
タップダンス
機械工学
原始時代
いざ・鎌倉時代
世界の建築
季節のこよみ
月の物語
湯・山梨
外国の物語
果実で美!
オレンジ活用
掃除秘伝

環境デザインとはまた関係のデザインであり、関係には空間的な関係、時間的な関係、社会的な関係がある。場所のデザインなら近隣との関係、周辺との関係が生じる。建築をつくれば影が生まれ、風をさえぎり、音が生じ視線が生じる場合もあるなどの関係が生じる。その関係をどのように空間的に調整するかなど、相互の関係を調整しよい方向に成立するようにする。コミュニティ形成は地域の生活の営みのなかに世代や国籍や障害を越えて交流を組み立ててゆく緩やかな関係のデザインを意味する。これは日常の緩やかなつながりに対する他者からの強い働きかけや物理的な災害などにあったときに日頃の蓄積を前堤にした連帯が通じ創造的な対話をうながして力を発揮するからで、関係のデザインが具体的な働きかけをともなうときさまざまなメディアが生み出され、かたちがつくりだされるのである。

2009年06月01日

地表温度を決める要因

地表は、太陽光線が当たって温められ、宇宙空間へ熱エネルギーを放射して冷える。熱源である太陽の明るさは、太陽系が生まれた46億年前には現在の約70%であり、その後徐々に明るさを増してきている。なおスノーボールアースの時期には太陽は現在の90%程度の明るさがあった。即ち地球の歴史をさかのぼるほど、現在よりも太陽から受けるエネルギーが少なかったと考えられる。太陽の明るさ以外に大気温度に影響を与える要因として、下記項目がある。

温室効果: メタンや二酸化炭素などのガスは、大気から宇宙へ出てゆく熱エネルギー量を減らし、結果として気温を上げる働きをする。これらを温室効果ガスと呼び、現在進行中の地球温暖化問題の原因として注目されている。地球誕生時には大気中に二酸化炭素が大量に(0.1気圧ないし10気圧相当)存在したとされており、人類が出現して産業革命に至るまでの間、増減を繰り返しながらも減少する傾向が続いていたと考えられている(地球温暖化の原因#影響要因としくみも参照)。
氷床による光の反射: 白い氷床は太陽光の反射率(アルベド)が非常に高く、入射した太陽光のエネルギーがそのまま宇宙空間へ流出する。その結果、地表の一定以上の範囲が氷に覆われると寒冷化は急激に加速する。逆の場合も成立し、氷床が減ってゆくと相乗的に気温が上昇する。
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大気中の二酸化炭素比率は現在0.04%程度であるが、スノーボールアースの開始時にはその値は0.01%、終了時には約10%に達したと推定されている。二酸化炭素の増減要因には下記のものがある。

二酸化炭素の増加要因: 二酸化炭素は火山ガスにより常時大気中に供給されている。火山活動は活発な時期には二酸化炭素の供給量が増加する。
二酸化炭素の減少要因: 減少要因は生物的要因と地質的要因の2種類がある。
生物は光合成などにより大気中の二酸化炭素を固定する。これが死後分解せずに地中に埋没すれば大気中の二酸化炭素濃度は減少する(大量の大形植物が石炭化した石炭紀などが典型。ただし先カンブリア紀に生息していた光合成生物はシアノバクテリア(藍藻類)程度で、石炭を作る大形植物はまだ発生していない)。
地質的要因は海水中の金属イオン濃度が関係する。陸地が侵食されることによって岩石中にあったカルシウムやマグネシウムなどの元素がイオン化され、河川によって海水へ供給される。二酸化炭素はこれらの金属イオンと結合して方解石(CaCO3)や苦灰石(CaMg(CO3)2)などの炭酸塩鉱物(カーボネート)を生成する。海中に金属イオンが大量に存在すれば、大気中の二酸化炭素は急速に減少する。なお、この時代は石灰岩質の骨格や殻をもつ生物はまだ存在せず、石灰岩は無機的な化学的反応によって造られていた。

2009年04月28日

磁気双極子相互作用

磁気双極子相互作用 は2つの核スピンI,Sが直接磁気双極子として相互作用するものである。磁気双極子相互作用のハミルトニアンはと表される。μ0は真空の透磁率、rはスピンIとSの間を結ぶベクトル、Dは磁気双極子相互作用テンソルである。この相互作用の大きさは化学シフトやスピン結合に比べてはるかに大きい。しかし、磁気双極子相互作用テンソルのトレースは0であるので、この相互作用は観測している原子核が充分に速く等方的に運動しているときには平均化されてラーモア周波数への影響は0となる。一方、固体の通常測定においてはその相互作用の大きさからスペクトルの形を支配する。磁気双極子相互作用による共鳴線の分裂幅はベクトルrと静磁場のなす角度θに対して、3cos2θ-1;に比例する。そのため、角度θの平均値を測定の間3cos2θ-1=0と保つようにすれば固体の測定でも磁気双極子相互作用による分裂を消去できる。これがマジックアングルスピニング法(MAS法)である。

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一方、磁気双極子相互作用はほとんどの場合に緩和の機構として主要なものである。

2009年04月13日

王 鳳(おう ほう、? - 紀元前22年)

王 鳳(おう ほう、? - 紀元前22年)は、前漢の政治家。字は孝卿(こうけい)。魏郡元城県委粟里の出身。

略歴 [編集]
同母姉妹に当たる王政君が当時皇太子だった元帝の側室となり後の成帝を産み、元帝の皇后に立てられたことから、彼らの一族は高い地位と権力を得ることとなった。

王鳳は彼や王政君の父である王禁の後を継いで陽平侯となり、また衛尉、侍中に任じられた。

元帝が崩御し成帝が皇帝となると、王政君は皇太后となり、王鳳は大司馬大将軍領尚書事となった(この地位は霍光のものと同じであり、まだ若い皇帝の摂政のようなものと考えられる)。また、河平2年(紀元前27年)には王鳳・王政君の異母弟である王譚、王商、王立、王根、王逢時の5人が列侯に封じられ、それらは「五侯」と呼ばれた。(王鳳らの兄弟でこの時までに列侯とならなかったのは既に死んでいた王曼だけであった。彼の子が王莽である)彼ら王氏一族は皆朝廷に位を得た。

王鳳は政治の実権を握り、成帝も彼に対して謙譲し、彼に相談せず何かを決めることはなく、成帝は快く思っていなかったようである。丞相王商(宣帝の母の実家の一族であり、王鳳の弟の王商とは別人)は外戚でもあり王鳳と対立していたが失脚させ、また王鳳を排除しようとした京兆尹王章も逆に獄死させるなど、政敵を排除して地位を守った。

大臣達も王氏を憚り、太守や刺史を王氏の関係者から多数輩出するなど、権勢を誇った。王鳳の庶弟「五侯」は奢侈で有名となり、その贅沢振りは民間に謡われるほどであった。

王鳳は陽朔3年(紀元前22年)8月、後継者として、奢侈で評判が悪かった上、王鳳とも仲が悪かった弟王譚ではなく、彼の従弟に当たる御史大夫王音を選び、王譚ら「五侯」は用いないよう成帝に遺言して病死する。

葬儀には皇帝自らが臨むなど異例の扱いをされ、敬成侯と諡された。陽平侯は子の王襄が継いだ。王襄は鴻嘉元年(紀元前20年)に衛尉、永始2年(紀元前15年)に太僕となった。陽平侯はその子の王岑、その子の王莫まで続いたが王莫の代に兵士に殺されて断絶した。

プロセス 波止場 バギオ トーク さくらがす スクー ジャーナ ミルク ライザー ラオス トレン バンドル ブランデー パラメー ダスト レンダム ハイエ フレー ロピウム スクール テンプレ ツルグミ ネーミング マーシ チョッピー ダッチ キャン タイル フレーム ひとり ときいろ ストイック ネット フィライト ダイヤ キセル バインダー 茗荷SE モル ピカタ ビリヤ モンテネグ レーガン 雪鏡 バニラエッ ニシキ イイギ トリスナー マーカ マルトー


2009年03月29日

ストラスブール

ストラスブール大聖堂には14世紀から残る3つの天文時計が納められている。1つは1352年から1354年の間に作られたもので、16世紀初頭に止まっている。2つめは、その後1547年から1574年にかけて Herlin, Conrad Dasypodius、ハプレヒト兄弟(the Habrecht brothers )らによって作られた。これは1788年あるいは1789年に動かなくなった(一度にでなく、各部品がだんだんと止まっていった)。50年後、新しい時計がジャン=バプティスト・シュウィルジュ(Jean-Baptiste Schwilgué )と30人の職工によって作成された。これは2つめの時計が入れられていた容器に収められている。多くの天文学的・暦法的情報が表現されており、人形も取り付けられている。また、復活祭の日を算出するために必要なコンプトゥスの機能を持つ、最初の完璧な機械であると考えられている。

プラハ [編集]
最も有名な天文時計のひとつは、チェコ共和国の首都プラハにあるオールド・タウン・ホールの時計である。「プラハのオルロイ(Prague Orloj )」の名でも知られる。中核となる部分は1410年に完成した。時を打つ骸骨の姿をした死神など、毎時に動作する4つの彫像が置かれている。さらに1時間ごとに時計上部の窓から使徒が姿を現し、正午には12体全ての像が揃って登場する。1870年には暦を表す図板が時計の下に加えられた。

第二次世界大戦の間、ナチスによる侵攻の際に大部分が破壊された。部品のほとんどを守るため努力した市民たちは英雄として賞賛されている。その後1948年までかけて徐々に復旧されていった。1979年、再度の清掃と修復が行われた。伝説によれば、もしこの時計を粗末に扱い、正しく作動させることを怠れば、都市に苦しみがもたらされるとされている。
オロモウツ [編集]
チェコ共和国の東部に位置し、かつてモラヴィアの首都であったオロモウツの街の中心にも、特徴的な外観を備える天文時計がある。

蘇頌の宇宙機関 [編集]
ロンドンのサイエンス・ミュージアムには北宋の蘇頌が1092年に作った「宇宙機関」の縮小模型が所蔵されている。「宇宙機関」は高さおよそ10メートルの巨大な天文時計で、水流と水銀によって間接的な動力を得ていた。

ルンド [編集]
スウェーデンのルンド大聖堂にある Horologium mirabile Lundense は14世紀の終わりに製作された。1837年に倉庫にしまわれたものの、1923年に元に戻された。教会の中の小さなオルガンから賛美歌102番「諸人声あげ(In dulci jubilo )」が流れる間、東方の三博士とその召使いをかたどった6体の木像がマリアとイエスのそばを通り過ぎる仕掛けが施されている。
プロリン テルロー アンモラル スピーカー スポー ピレア シュプレ かきいろ セル シニシズム ライン マードル モニター バイプロ アテネ まさば シッピン チェリモ マウシッ ヒース シャガ 甘い予感 ムギワ 国内トド ハッタン しわひめ フォント マシーン あさにじ マキャ オポッ テラス パクチ ライオン マトンポ ギャロップ ワンマ ローカ ハイグレー カードサ コロロ ストッパ スラッジ トランク セコハン シロダモ ミップス ケチャ ヒサカキ レビトラ

コペンハーゲン [編集]
コペンハーゲンの市庁舎には完全な形の天文時計があり、ガラス製の展示ケースに入れられている。天文学愛好家でもある時計職人のイェンス・オルセン(Jens Olsen )によって、50年以上かけて設計されたものである。コンプトゥスなどいくつかの部分は、彼が研究していたストラスブールの天文時計から着想を得ている。1948年から1955年にかけて組み立てられた。1995年から1997年の間に補修作業が行われた。

2009年03月14日

アル=ケ=スナンの王立製塩所

アル=ケ=スナンの王立製塩所は、フランス東部のドゥー県アル=ケ=スナン(アルク=エ=スナン)市にある旧製塩所で、想像力豊かな建築家クロード・ニコラ・ルドゥが都市計画まで視野に入れて手がけた建築物。この製塩所はサラン=レ=バンやロン=ル=ソーニエの旧式の製塩所に取って代わるものだった。

理想の工業都市を追求する形で円形の都市が計画されていたにもかかわらず、半円状で工事は中断された。しかし、その計画性は当時の都市計画を偲ばせるものと評価され、ユネスコの世界遺産に登録された。製塩所としての操業は19世紀末で停止しており、現在は博物館や資料館として公開されている。
当時、食塩は肉や魚などの保存に用いられていたため、相対的に需要の高い食品であった。ガベル(塩税)という塩の消費に応じた税金がかけられており、徴税請負事務局 (ferme générale) に徴収されていた。フランシュ=コンテには地下に岩塩の鉱脈があり、相対的に富裕だった。この地方には、塩用の井戸が多くあり、取り出した塩水をボイラーで沸騰させて塩を精製していた。そのボイラーを焚くために薪が必要とされ、近隣の森林から切り出されていた。当時、サラン=レ=バンやモンモロには多くの井戸やボイラーがあったが、薪の伐採が続いた結果、近隣の森林資源は乏しいものとなっていった。その結果、燃料はどんどん遠くから調達しなければならなくなり、コストが高くなっていった。さらに時が経つと、塩水濃度の低下にも見舞われた。一定期間、王属の専門家たちは ? petites eaux ? を使うことを研究していたが、1773年4月の御前会議 (le conseil du Roi) で取りやめることが決議された[1]。また、サラン=レ=バンの谷あいに鹹水製造所 (bâtiment de graduation) を建てることも不可能になった。
まっち棒 きたみ ショートス バルト デンバー トスタチン チップ はじめて ばんか カラー ニュー ラジウム アドミラル プロフィット ネリカ スレッド 恋草子 ラッカー プレミア コリック サーフス ケード アサイン サーチ大潮 リンガ メイリオ オブラー ソクラ コサック からし菜 パラリ ゲバ上位 ヌーデン セルフレジ 草枕 トング 夢の果て ホソル びわ検 ひつじの涙 チャイ ナッツ パー 対策リマ ブラボ タイム ラングーン メキシコ ハクサンイ かいらん

建造と決定 [編集]
クロード・ニコラ・ルドゥは1771年9月20日に、ルイ15世から、ロレーヌとフランシュ=コンテの製塩所の監視官 (Commissaire aux salines de Lorraine et de Franche-Comté) に任命された。1773年には、デュ・バリー夫人の後押しで王立建築アカデミー (l'Académie royale d'architecture) の会員にも推挙された。彼は既に徴税請負事務局の建築家だったこともあり、「王室建築家」(Architecte du Roi) の称号を手に入れることができた[2]。そうして、アル=ケ=スナンの製塩所の建築計画は、ルドゥに委ねられたのである。

彼は監視官としてフランス東部の様々な製塩所を検視していた。それを通じて、彼は能率的な工場を思い描いていたので、実はルイ15世から計画を委託されるよりも早く、最初の計画案を練っていたのである。その計画案は、他の製塩所、特にロン=ル=ソーニエやサラン=レ=バンのものに触発されていた。

2009年02月25日

クラウン大銀河に存在する4つの恒星系

クラウン大銀河に存在する4つの恒星系(イースター、ウェスタ、サザンド、ノウズ)と長大軌道を持つスタント遊星により構成されるジョーカー太陽星団が、この物語『ファイブスター物語』の主な舞台である。星団には極めて発達しつつも緩やかに衰退を始めている文明が存在している。4つの太陽系の幾つかの惑星に居住している人類は、無数の国家を形成し、国家は互いに勢力拡大を争っていた。

その国家間紛争の切り札が、「モーターヘッド」(作中ではMHと略して表記することが多い)と呼ばれる人型の巨大ロボットであり、過去の超文明の血を受け継ぐことにより超人的な戦闘能力を持ち、MHを操ることができるヘッドライナーたち(人々には「騎士」と呼ばれる)であり、その両者の仲立ちをする人工生命体が「ファティマ」である。

そのジョーカーにおいて、人類を遥かに凌駕する2つの存在が出会い結ばれる。一人は、惑星デルタ・ベルンの統治者であり、星団随一の美貌と頭脳、そして数々の神技を持つ「光の神」アマテラスのミカド(天照帝)。もう一人は、狂気の天才科学者Dr.バランシェが創造した、アマテラスと同等の力を持つ「超生命体(ダブルイプシロン・ヒューマン)」ラキシスである。やがて彼らは星団全てを戦火に巻き込む大侵攻を開始する。人類の生存と誇りを掛けた神との戦いが展開される。

この物語は、数千年の歴史の中でジョーカー太陽星団において繰り広げられる、騎士・ファティマ・MHを中心とした文明と人々の営みの因果と帰結を描く壮大な叙事詩である。

騎士とは、驚異的な身体能力から、戦闘兵器モーターヘッドで戦うことを生業としている人々を指す。その力は、太古の戦闘人種の血が発現した結果である。騎士の遺伝情報は、全星団の人々に行き渡っているが、一般には その発現率は極めて低い。

ダイバー
ダイバーとは先天的に備わるいわば超能力、ダイバー・フォースを持つ人々を言う。太古の超帝国が遺した力であるが、騎士よりも、さらに稀な存在である。 ダイバー・フォースには「ダイバーパワー」・「パラ・サイマル」・「ハイブレン」・「ルシェミ」の4種がある。

ダイバー・パワー
物理的に作用する能力。
戦闘に参加するダイバーの多くはこれである。ダイバー・フォースで代表的な能力である為、他の3種の能力の持ち主であってもダイバーと称することが多い。
パラ・サイマル
予知や探査など精神的現象を扱う能力。
物理的に何かに影響を与える能力ではないため、直接には戦闘に参加はしない。
ハイブレン
生物を制御する能力。
超帝國の支配者が持っていた代表的な能力で、ハイブレンで騎士を支配・利用することで民衆をより強固に支配していた。
ルシェミ
物質を変性させる能力。
騎士や兵器など技術開発に貢献したが、現在では消失している。しかしファティマやモータヘッドの製作者であるマイトは素質的にこの能力を持っているという。
シャンツェ こせん スーフィ フォーミュ 枯葉の輪舞 ペーンイウ ハヤシライ テラー ミズナラ コード ナウル コメン すぎな 全国情報 黒皮かぼち バイオス 黄金魂 フィーン ハング 明日へ ダッカ がんばれ ダッキ ダーティ 首飾り ヌメア オンシー オーオー シンク フライシト ボヨール アングル モサド フローリス カーフス ハラン フラット りーすりん マテリア 八千代 えびす ストーン シイ人気 ゆうすい ジェション 優しい雨 ソフト ブロック アルジェ ウジュン

モーターヘッド
最強の戦闘兵器である巨大人型ロボット。驚異的な戦闘人種である騎士の力を完璧にトレースすることが可能である。敵の攻撃からの回避能力が非常に高いので、モーターヘッドを倒せるのは、モーターヘッドだけであるといわれる。管制システムとして、生体コンピュータであるファティマの搭載を必要とする。

ファティマ
ファティマとは、モーターヘッドを操縦する騎士を助ける、生体コンピュータのことである。その演算性能は、多様なパターン処理への対応能力と安定性において、通常のコンピュータの追随を許さない。

その他
AD世紀
星団歴の時代より以前を、AD世紀と呼ぶ。「エンシェント・ディメンジョン・センチュリー」の略で、星団歴に先行する10,003年間の時期を指す。AD4000年頃成立したファロスディー・カナーン超帝國の初代皇帝アッセルムラトワ・ディスターブと、第9代皇帝AD9(ナ・イ・ン)の治めていた時期が、ジョーカー人類の文明の最盛期だと言われている。AD世紀の情報の大部分は、星団歴には伝わらず、失われた。一部の技術情報のみが残り、利用されている。
イレーザー・エンジン
MHのエネルギー源。のみならず宇宙艦船から民生用のディグ(浮上式バイク)にまで装備されている普及したエネルギー源である。AD世紀に開発された技術で、光を動力源とし、永久にエネルギーを取り出すことが可能であるという。
懐園剣(かいえんけん)
アマテラスとラキシスの娘カレンが作り出したとされ、一振りの光剣と大太刀(実剣)とが対となっている。時や空間など次元を超え数々の強力な騎士に受け継がれたといわれる。「ミスト・ブレーカー」と呼ばれることもあり、単に懐園剣と表記した場合は、大太刀の方を指す事が多い。
光剣はジョーカー宇宙でのみ力を発揮し、大太刀はタイカ宇宙でのみ力を発揮するという。
旗騎
国家を象徴するモーターヘッドの事。それぞれその名に見劣りしない高い性能を持つ。
スパッド(光剣)・スパイド(実剣)
騎士が主に使用する武器。超絶な反射神経と運動能力を持つ騎士の闘いにおいては、銃などよりもはるかに有用な武器であり、騎士の身分の証明にもなっている。また彼らの駆るモーターヘッドの主武装でもあり、MHを破壊できるのは基本的にMHの剣のみである。
スパッド(光剣)はレーザー剣。軽量で携帯が容易。スタンモードに切り替える事で峰打ちも可能。
スパイド(実剣)は重くて携帯には不便だが、玉鋼を鍛え上げた その威力はスパッドの比では無い。ちなみにJOTA宇宙騎士団ではスパッドの事を「ダイナミック・オプチカル・スオード」、略して「D.O.S(ドス)」と呼ばれ、スパイドは「ヤパニーズ・プレシジョン・アームス」、略して「JAP.P.A(ヤッパ)」と呼ばれている。
星団暦
星団共通の暦。本作品の主な時代背景でもある。人類生存4惑星の諸国間で条約(「歴史年表」では「協定法案」と呼ばれる)が締結されたAD世紀10,003年をもって星団暦元年としている。
星団法
星団の全ての国にまたがる憲法的法律。度々改正などの会議が行われている。星団暦2310年に発明されたファティマも、星団法での規制対象となっている。
星団法は星団暦2000年代初頭、フィルモアやクバルカンといった当時の列強国にグリース、コーラスなどの新興国、さらに聖宮ラーンが加わって制定したとされている。惑星デルタベルンのグリース王国パトラクシェ島(のちのフロートテンプル)には星団法制定を記念したモニュメントが存在する。
ドーリー
MHを運搬する車両。MHの騎体のほか、修理設備と部品・オプション兵器などを搭載する。搭載MHは1騎で騎士が車長を務め、騎士とファティマや部下や客人などが住まう居住施設も備える長期滞在が可能なものが多い。地上走行型をモータードーリー、浮上飛行型をエアドーリーと呼ぶ。
『重戦機エルガイム』の企画段階で『リビングクローラー』という類似する車両がデザインされており、これを転用したものと思われる。こちらにはバリエーションとして宇宙用があり、ラフ・スケッチにはドーリーそっくりの車両が直立したまま宇宙空間を移動しつつ、戦闘機のようなものを発進させているという姿が描かれていた。
ドラゴンドロップ
ボォス星に生息する5体のドラゴンの分泌物。宝石として星団最高の価値を誇り、所有者はドラゴンにより願いを叶えられると言われている。色はドラゴンにより異なり、これまでサンダードラゴンがファティマ・静に与えた青色の物と、すえぞう(L.E.D.ドラゴンの幼生)がラキシスに贈った赤色の物とが登場している。
バスター砲
AD世紀に超帝國が開発したバスター・エネルギーを利用した強大な威力を誇る兵器。その想像を絶する威力により、戦争での使用は星団法で全面使用禁止となっている。しかし反面、国家の主な艦船には装備されており、MHにもオプションとして用意している騎士団も少なくない。そのような状況下でバスター砲が滅多に使用されずにいるのは、バスター砲で土地を破壊してしまうと占領する価値がなくなってしまうため、また前述の星団法による規制により、戦場でバスター砲を使用した国家は他国から孤立してしまうためである。
構造により3種類ある。しかし種類によっての威力の違いはない。
バスター・ロック
砲身とイレーザー・エンジンが一体となっている形式。巨大になるために艦船などに装備されることが多い。ユーバー・バラダ大公やシーブル国軍が使用したが、前者は発射前にK.O.G.のバスター・ランチャーで逆に撃ち落とされ、後者はシュペルターのバスター・ランチャーにて砲弾を対消滅されている。
バスター・ファウスト
砲身とイレーザー・エンジンが個別に存在する形式。MHが装備するサイズも可能だが、対MHには命中しないので意味がない。
バスター・ランチャー
砲身のみでイレイザー・エンジンは他で用意する形式。エンジンにより威力が変わり、エンジン側の出力制御により威力が変えられるという特徴がある。サイズは最小のA型から最大のE型までが存在する。本来使用できない兵器であるが、MHが装備するのはこの形式がほとんど。固定装備としているMHはミラージュ騎士団のみである。砲身を二つ折りにして携行しやすくしているK.O.G.や、E型のうえエネルギーをカートリッジ化して連射を可能としているヤクト・ミラージュまで様々。
フェザー(fesor)
全星で流通、使用される通貨。価値は1フェザー≒500円と設定されている。貨幣や紙幣には高度な偽造防止対策が施されているが、一般にはクレジットカードが普及しており、現金が用いられることは一部地域を除いてほとんどない。「フェザーゴールド」と呼ばれる高額金貨も存在する。

主要な惑星と主要勢力等
ジョーカー太陽星団は、イースター、ウェスタ、サザンド、ノウスの4つの太陽系と、移動性太陽系スタント遊星によって構成される。56億7000万年後の変わり果てたジョーカー太陽星団にはフォーチュンという星が存在するらしい。

2009年02月08日

パキスタンの歴史

パキスタンの歴史(History of Pakistan)では、1947年にイギリスから独立を果たしたパキスタンの歴史について述べる。なお、パキスタン独立に至るまでの歴史

1947年8月15日、イギリスより独立を果たしてパキスタンが成立した。インドとの分離独立という形になり、ムスリム多住の地域を中心に構成された。その領域は、現在のパキスタンのほか、ベンガル地方の一部(現在のバングラデシュ。後述。)を含むものであった。また、国家体制としてはイギリス国王を元首に戴く英連邦王国だった。
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独立まもなく、カシミール地方の帰属をめぐって、第一次インド・パキスタン戦争が勃発した。カシミール地方は、かつてジャンムー・カシミール藩王国として英領インド帝国の一部を構成しており、その藩王はヒンドゥー教徒であったが、住民の多数はイスラーム教徒という状況にあった。そのため、この地域の帰属をめぐってパキスタンとインドの間で対立が生じたことから、両国の軍隊が派遣されて戦争へと至ったのである。この両者の対立は国連の仲介で停戦へと至った。(詳細はインド・パキスタン戦争を参照のこと。)

軍政への移行
アユーブ・ハーンこの印パ戦争の最中、「建国の父」としてパキスタンを率いたジンナー総督が、1948年9月に死去した。さらに、リヤーカト・アリー・ハーン首相が1951年に暗殺されたことで、政局は不安定な状態へと向かっていた。こうした中、1958年には軍事クーデタによってアユーブ・ハーンが独裁政権を樹立した。また、この間の1956年にはパキスタン・イスラーム共和国憲法が制定され、(ただし、「イスラーム共和国」と掲げているものの、憲法の内容自体は政教分離に基づいている)イギリス王冠から独立した。

インドと比べて国家の規模で劣るパキスタンは、インドとの対抗上大国との接近を必要とした。そのため、1954年5月にアメリカ合衆国と相互防衛援護協定を結んだことを皮切りに、同年9月にはSEATO(東南アジア条約機構、東南アジア集団防衛条約機構などとも)の一員となった。さらに1955年にはアメリカ合衆国主導の反共同盟であるMETO(中東条約機構)にも加盟した。アラブ世界ではアラブ民族主義が高まり、インドが非同盟主義に立つ中で、アメリカ合衆国にとってもパキスタンが親米姿勢を強めることは冷戦下での戦略上望ましいことであった。

1960年代になると、こうした外交関係に変化が生じる。1959年のダライ・ラマ亡命問題で中華人民共和国とインドの関係が悪化し、1962年の中ソ国境紛争でその対立は決定的なものになった。こうした中、反中となったインドはアメリカ合衆国との軍事的結びつきを強め、パキスタンにとって大きな脅威となったのである。そのため、アユーブ・ハーンの軍事政権は、インドとの対抗上中華人民共和国と接近し、カシミール問題を有利に運ぼうとした。(この際の交渉で外相として活躍したのが、のちに大統領となるズルフィカール・ブットーであった。)こうして領土問題が再燃し、1965年より第二次インド・パキスタン戦争が勃発した。この際も、国連の仲裁によって停戦へと至り、ソ連の調停のもとでタシケント宣言が発表された。結局、この戦争でパキスタンは何も手にすることができなかった。この一件でアユーブ・ハーンとブットーの関係は悪化し、外相辞任後にブットーはパキスタン人民党を結党した。

バングラデシュの分離独立
1971年のパキスタン1960年代後半になると、軍事独裁への批判などから反政府運動が高まった。その結果アユーブ・ハーンは失脚するが、引き続きヤヒヤー・ハーンが実権を握ったため軍政は続いた。1970年11月、東パキスタンを大規模なサイクロンが襲い、30?50万人もの死者を出す大惨事となった。この際西パキスタンによる災害救助の動きが極めて鈍かったことから東パキスタンでは政権不信が爆発し、同年12月?翌1971年1月に実施されたパキスタン初の普通選挙でムジブル・ラフマン率いるアワミ連盟が東パキスタンにて地滑り的圧勝を収め(169議席中167議席)、国会全体(313議席)でも単独過半数を制した。ところがヤヒヤー・ハーンがこの結果を認めない姿勢を見せたため、東パキスタン(ベンガル地方)で反政府運動が高まった。政府がこれに対し武力鎮圧を図ったことから、パキスタンは内戦状態に陥り(バングラデシュ独立戦争)、更にインドによる軍事介入を招いて第3次印パ戦争が勃発した。この争いはインドの軍事的勝利で終結し、同年12月に東パキスタンはバングラデシュとして独立を果たした。(その後のバングラデシュについては、バングラデシュの歴史を参照のこと。)この敗戦の責を負って、ヤヒヤー・ハーン政権は崩壊し、民主化が図られた。また、1972年、パキスタンはインドとシムラ協定を結び、カシミール地方における両国の暫定的な勢力範囲を確認した。

この間、国際情勢の変化にあわせて外交関係も変化した。1960年代後半よりインドはベトナム戦争の批判などでアメリカ合衆国との関係を悪化させた上、第3次印パ戦争を有利に進めるため、ソ連に接近してインド・ソ連友好条約を締結した。そのため、アメリカ合衆国は再びパキスタンとの接近を図った。(ただし、第3次印パ戦争が起こった1971年は、ベトナム戦争が泥沼化していた上、いわゆる「ニクソン・ショック」も起こった年であり、パキスタンを本格的に援助することは困難であった。)1972年にニクソン大統領が中国を訪問するなど、米中関係が大幅に改善したことにも助けられ、パキスタンは中華人民共和国・アメリカ合衆国と結びついてインドと対峙することになったのである。

国家のイスラーム化
ヤヒヤー・ハーン政権の崩壊後、1973年に議院内閣制に立脚する憲法が採択され、パキスタンは民政へと移行した。第三次インド・パキスタン戦争における戦後処理も進み、インド・パキスタン間の交流も再開へと向かった。1976年には国交が回復された。しかし、パキスタンの民政は長く続かなかった。

1977年、選挙で勝利したズルフィカール・ブットー率いる人民党に対して、選挙の不正を指摘した野党が大規模な抗議運動を展開した。これが暴動などの混乱を引き起こすと、ジアウル・ハック陸軍参謀長が軍事クーデタで政権を掌握し、自ら大統領に就任してしまった。まもなくブットーを処刑し、それから約10年間軍部独裁が続くことになった。この間、ムスリム諸団体からの支持を狙い、ジャマーアテ・イスラーミー(イスラーム同盟)の代表的人物を閣僚に加えるなど、政治に対する「イスラーム原理主義」の影響力が増していった。憲法も停止され、司法面でもイスラーム化・政教一致が進んでいった。

ベーナズィール・ブットーこの軍事独裁政権を維持する上で役割を果たしたのがアメリカ合衆国である。1979年、パキスタンの北西に位置するアフガニスタンにソ連軍が侵攻した。1970年代には「デタント」と称される米ソ融和が進んでいたものの、ソ連軍侵攻によりアメリカ合衆国とソ連の関係は急激に悪化し、80年代のいわゆる「新冷戦」へと突入した。この際、アフガニスタンのソ連軍を牽制するため、合衆国はパキスタンの軍事政権に大規模な援助を与え続けた。1988年、突然の飛行機事故でジアウル・ハックが死去すると、再びパキスタンは民政に戻った。総選挙の結果、かつて処刑されたブットーの娘であるベーナズィール・ブットーが首相となった。その後幾度か政権交代が起こるが、国家のイスラーム化はさらに進んでいった。

1990年代に入ると、パキスタンに核開発疑惑が浮上した。政府はこの疑惑を否定したが、原子力発電所建設をめぐりフランスと交渉を行い、さらに同国から原子力潜水艦を購入するなど、その疑惑が晴れることはなかった。また、隣国の核保有国インドで、ミサイル開発・実験が推進され続けたことは、パキスタンを核保有へと走らせた大きな要因であろう。1996年には、地下核実験用の採掘作業が行われていることが報道された。同年の核実験全面禁止を定めたCTBTにも加わらなかった。(インドも同様。)

パキスタンがイスラーム色を鮮明にしていったのは、単なる「原理主義」への回帰ではなく、対外関係、とりわけインドのヒンドゥー化とも結びついている。1980年代よりインドではいわば「ヒンドゥー至上主義」が台頭し、反イスラーム感情も高まっていた。独立以来の両国間の対立構図が、宗教と結びついた形での排他的なナショナリズムを熟成させたともいえる。1998年、インドで人民党(ヒンドゥー至上主義的な政党)が政権を奪取すると、そうした傾向は一層助長され、同政権下で核実験も行われた。これに対抗してパキスタンも核実験を行い、両国の対立は核戦争の懸念まで含む深刻なものとなった。こうした状況下で、1999年にパルヴェーズ・ムシャラフによって軍事クーデターが起こされ、パキスタンは再び軍事政権に戻ることになった。

2001年の同時多発テロ事件を契機とする合衆国のアフガニスタン侵攻は、イスラーム化したパキスタンに難題を提示することになった。政教一致のイスラーム政権を標榜するパキスタンは、従来、「イスラーム原理主義」に立脚したタリバーン政権を承認する姿勢をとっていたが、インドへの対抗上、合衆国との関係悪化を避ける必要があり、合衆国の軍事侵攻を支持することを余儀なくされた。

指導者一覧
歴代総督
ムハンマド・アリー・ジンナー(1947-48)
ナジームッディーン(1948-51)
グラーム・ムハンマド(1951-55)
イスカンダル・ミルザー(1955-56)

歴代大統領
イスカンダル・ミルザー(1956-58)
アユーブ・ハーン(1958-69)
ヤヒヤー・ハーン(1969-71)
ズルフィカール・アリー・ブットー(1971-73)
ファズルル・イラーヒー・チョードリー(1973-78)
ジアウル・ハック(1978-88)
グラーム・イスハーク・ハーン(1988-93)
ワシム・サジャド(1993=大統領代行)
ファルーク・ラガーリー(1993-97)
ワシム・サジャド(1997-1998=大統領代行)
ムハンマド・ラフィク・タラル(1998-2001)
パルヴェーズ・ムシャラフ(2001-)

歴代首相
リヤーカト・アリー・ハーン(1947-51)
ナジームッディーン(1951-53)
ムハンマド・アリー・ボークラー(1953-55)
チョードゥリー・ムハンマド・アリー(1955-56)
フサイン・シャヒード・スフラワルディー(1956-57)
チュンドリーガル(1957)
マリク・フィローズ・ハーン・ヌーン(1957-58)
ヌールル・アミーン(1971)
ズルフィカール・アリー・ブットー(1973-77)
ムハンマド・ハーン・ジュネジョー(1985-88)
ベナジール・ブットー(1988-90)
グラーム・ムスターファ・ジャトイ(1990)
ムハンマド・ナワーズ・シャリーフ(1990-93)
ミール・バラク・シェール・ハーン・マザーリー(1993)
ムハンマド・ナワーズ・シャリーフ(1993)
モイーン・クレーシー(1993)
ベーナジール・ブットー(1993-96)
マリク・メーラージ・ハーリド(1996-97)
ムハンマド・ナワーズ・シャリーフ(1997-99)
ザファルッラー・ハーン・ジャマーリー(2002-2004)
チョードリー・スジャト・フセイン(2002-2004)
シャウカト・アジーズ(2004-)

2009年01月23日

アドベンチャーモード『亜空の使者』

本作では『大乱闘スマッシュブラザーズX〜亜空の使者〜』という、前作のアドベンチャーモードを発展させて作られた、スマッシュブラザーズのゲームシステムを利用した対戦ゲームとしての本作とは異なる横スクロールアクションゲームをプレイすることができる。スマブラシリーズは一人用ゲームの充実が前作からの目標として掲げられているとともに[6][7]登場するキャラクターたちを立てること、そして前作よりユーザーからあった公式なストーリーが欲しいという要望からのもので、この『亜空の使者』はそうした製作者やユーザーの希望を具体化させたもの。1人プレイは勿論のこと、2人で進めることができる。
久兵衛 弁慶国内 ユニット ノール とうもろこし レーズン おっくう ジャル パイダー デザート カメオ 四ツ溝柿 ドヤム ハマー ジグ ブルー フライス デリー トレイル 養老 チロリ パンテ スパイラル ティッカー イール シドニー ハナタ フィッ ノンド キーロガー シャワ バクー国内 プレーヤー ピエタ タリン 白い香 オリーブ ライプ カップル 眠り姫 ネブラ リンス 待ちぼうけ ワースト スマート フリーレ ドックス デッサン ズバー

フィギュアとしてのスマブラのキャラクターが多数住んでいる「この世界」(プレイヤーキャラの出典となる作品からの固有の地名は登場しない)を侵略する非フィギュアのオリジナルキャラクター亜空軍による「この世界」各地の異変をそれぞれのキャラクターが追っていき、やがて亜空間へ突入、亜空軍の首領に立ち向かっていくというあらすじである。ゲーム中の各所に短いCGデモムービーが挿入され、ストーリーを盛り上げている。任天堂のキャラクター達による、それぞれのキャラクターや背景を立てた上での共演は、他のゲームでは見られない大きな特徴となっている[6]。シナリオプロットは野島一成が作成している。

キャラクターの操作やミス条件は画面外にふっとばされた際などの点では本編と共通しているが、仲間になったキャラクターでチームを組み、ミスごとにキャラクターを変更されるシステム、シールによってキャラクターのパワーアップが可能、敵キャラをフィギュア化するスマッシュプレートの存在、敵専用キャラクターは全て体力制、1対多人数の戦闘が多いなど、『スマッシュブラザーズ』本編とはシステムを流用した別のゲームと言えるほどの差を持っている。

コレクション(収集要素)
前作同様にゲーム中の様々なところでコインを入手できる。コインは、前作のフィギュポンに代わって、コインシューターというコインを消費してプレイできるシューティングゲームをプレイすることでフィギュアやシールを入手したり、一人用ゲームをコンティニューする際にコインを使用したり、大観戦の際にコインを賭けたりするなど、様々な用途に使用する。そのため、所持できるコインの最大値や一度にもらえるコイン、コンティニューするためのコインの数がDXより格段に増えた。

前作で顕著になった任天堂が歩んだビデオゲームの軌跡の記念碑としての要素は本作においても一層濃くなっている。解説付きの任天堂のキャラクターの立体物であるフィギュアは前作に引き続いて登場している。フィギュアは本ゲーム内で使用されているキャラクターの他、任天堂がこれまでに発売したゲームで実際に使用されたキャラクターの提供を受け、これを転用して作られたものが中心となっている[8]。これとは別に、今作では新たな収集要素としてこれまでの任天堂作品の説明書、パッケージ、広告などで使用されたイラストなど、大小さまざまなアートワークが描かれたシールが追加された。これらの収集物は一つ一つを眺めるだけでなく、自由に配置して一つの画像・映像を作って保存することもできる。また、収録されているBGMに関しても、任天堂の抱える幅広い世代の客層に満遍なく応えるためのものである[9]。さらに、本作には任天堂がこれまで発売したビデオゲームが年表として並べられたリストが収録されており、このうち一部は名作トライアルとしてバーチャルコンソールの体験版のようにごく短時間のみプレイすることができる。

フィギュア、シール、オレ曲セレクトに曲目を追加するためのCDは、ゲーム中にアイテムとして出現し、回収することで入手できる。これとは別に、一定の条件を満たすことで入手することもあり、これらはクリアゲッターとして条件が明示されている。クリアゲッターはディスプレイのようになっており、条件を満たすと窓が割れ、中にあるフィギュアなどが手に入り、周りの窓を壊すためのヒントが分かるようになる。また、限られた個数のみ所有でき、一回だけ使用できるゴールデンハンマーというアイテムを使うことで、条件を満たさずにフィギュアなどを入手できる。以上のルールは『カービィのエアライド』に登場する「クリアチェッカー」とほとんど同じである。

ゲーム中にカメラで画面を撮影・写真を作りアルバムに保存することができる。前作ではカメラモードのみだったが、本作ではトレーニング・競技場以外のどのモードでもポーズ中は撮影カメラを使用可能。また、対戦モードや競技場でのプレイはリプレイ映像として保存できる。これらの映像はWi-Fiコネクションなどを通して自由に受け渡しすることができる。また、SDカードを用いてのやりとりもできる。

音楽
今作の主な特徴の1つとして、非常に豪華な音楽スタッフが挙げられる。『スマブラX』の情報の公開を開始して間もない5月後半に、本作に参加する37人ものゲーム音楽作曲家が公開[10]され、その豪華さが強調されている。これ以前にも、「速報スマブラ拳!!」のアンケートのお題として「使用して欲しい音楽」が募集されるなど、本作が音楽について更に力が向けられることが示唆されていた。

本作に参加する音楽スタッフは、過去のスマブラシリーズと同じように、本作で使用される過去の任天堂のゲームで使用されていたBGMの編曲を担当する。BGMは原作ゲームの一曲をアレンジしたものから、複数の作品のBGMをメドレーにしたものまで様々。また、収録されているBGMの中にはファミリーコンピュータ音源などで作られた原作ゲーム中で使われた原曲が使用されていることもある。

これらのBGMの中心に立つ本作のメインテーマは植松伸夫作曲によるもので、様々な曲調にアレンジされ作中の随所で使用されている。一部の音楽の編曲にはオーケストラが使用され、メインテーマのオーケストラアレンジには桜井ディレクターによってラテン語の歌詞がつけられており、歌唱にはテノールのパートに錦織健、ソプラノのパートに高橋織子が参加している。

植松以外にも本作に深く携わった存在として、本作に多くの編曲を提供したという点で酒井省吾、石坂健太郎、高濱祐輔などが挙げられる。また、編曲に加えて、効果音などSEの作成はHAL研究所およびゲームアーツの音楽スタッフによるもの。

非常に多くの作品の音楽を使用し、しかも様々なゲーム音楽家に編曲を依頼していることから、本作で使用されている音楽に関する権利関係は非常に複雑なものとなっている。これは、サウンドテストにおいて、BGM一曲一曲に関する権利の帰属先が明記されていることからも伺える。

サウンドテストで聴くことの出来る曲は最大256曲だが、一部音楽はサウンドトラックでも聴くことが出来ない。

評価
国内最大級のゲーム雑誌であるファミ通(第998号)のクロスレビューにおいて、クロスレビュー史上7作目の40点満点を獲得した。その他、海外の各種ゲームメディアでも軒並み高い点数で評価されている。

また、2008年度の日本ゲーム大賞において優秀賞を受賞した。

備考

開発・発売までの経緯
2005年5月にE3前日の任天堂の流通向け発表会会場でレボリューション(後のWii)において、「『スマッシュブラザーズ』が製作されるようにしたい」といった発表がされ、その直後には、当時HAL研究所を離れていた桜井ディレクターが依頼を受けた。桜井ディレクターはこれを受諾、本作を開発するためだけに任天堂が用意したオフィスにおいて(この際開発人員の派遣に協力した会社は発売直前まで伏せられていたが、これは『グランディア』シリーズなどで有名なゲームアーツによるものであることが明かされている。なおこの会社を紹介したのは『64』『DX』のプロデューサーであった宮本茂である事が判明している[11])、2005年10月頃から開発が始められている。なお、E3の場で「既にスマブラの開発が行われている」という発表がされたと表現されることが多いが、これは誤りであり、実際には「アンケートの結果、多くの人間がスマブラの発売を望んでいたことが判明したため製作する可能性がある」といった程度の発表であった[12]。

2006年のE3において、本作の正式なタイトル発表およびトレーラームービーが公開された。シリーズの公式サイトであるスマブラ拳!!もこのほぼ同時期である2006年夏頃に暫定的に公開され、一部の新キャラやムービーなどが紹介された。その後一旦閉鎖し、2007年5月22日の午後に、ブログ風にリニューアルした上で再度オープンした。それからは毎週月曜日?金曜日に更新が行われ、2008年4月14日に更新終了となっている。が、現在も時々更新されている。

発売までにはたびたび延期が行われている。

2005年のE3で発表された際はレボリューション(Wii)のロンチタイトルとされていたが、開発が開始されたのがその後であった為全く間に合わなかった。
Wii発売後となった2007年のE3では2007年内に発売予定で、北米での発売日が2007年12月3日と発表された。
2007年10月10日の任天堂カンファレンス2007秋にてさらに延期が発表され、後に日本での発売日が2008年1月24日、北米では2月10日とそれぞれ改められた。
日本での発売日が迫った2008年1月15日に急遽さらなる延期が発表され、日本では2008年1月31日、北米では3月9日に発売予定であると発表された。

登場キャラクターについて
スネークが登場するのは、任天堂のゲームのファンだったメタルギアソリッドシリーズの監督小島秀夫から桜井ディレクターへ、前作『DX』の発売時期前後より希望があったと語られている[13]。メタルギアソリッドシリーズは、プレイステーションを中心に発売されていたシリーズだが、ファミコン版『メタルギア』やゲームキューブ用ソフト『メタルギアソリッド:ザ・ツインスネークス』など、いくつかの作品は任天堂ハードで発売されていたため、桜井ディレクターの考える「任天堂ハードに貢献している」というキャラの選考基準には当てはまっていた。E3において発表された際には、悲鳴にも似た歓声が上がったとのこと。なお、スネークがクロスオーバー作品の対戦アクションゲームに参戦するのはハドソンの『ドリームミックスTV ワールドファイターズ』に続き2度目となる。

ソニックにおいては前作の頃から要望があったが、時間の関係で実現できなかったという話があり、また「世界で最も参戦が望まれていたキャラクター」であったという。なお、ソニックはマリオファミリーとは既に『マリオ&ソニック AT 北京オリンピック』での競演が実現している[14]

本作のプレイヤーキャラクターが登場するシリーズ作品のうち、最新のものは2001年に第一作が発売された『ピクミン』であり(ワリオを『メイド イン ワリオ』シリーズだとすれば2003年になる)、その前は5年前である1996年に第一作が発売された『ポケットモンスター』シリーズ、本作の発売はその7年後となり、『ピクミン』から前後6年ほどの間が空いている。桜井ディレクターは本作のキャラ選考についてこの点に言及、近年は既存のキャラクターを使ったものや、『どうぶつの森』シリーズや『Touch! Generations』シリーズなど戦闘を行えない作品が多く選考に難航、任天堂での新たなキャラクターシリーズ作品の製作が難しく、また少ないとの見解を示した。

キャンペーン
本作のテレビCMは従来の任天堂が制作したものだけではなく、NTT東日本およびNTT西日本も本作を用いた「FLET'S光 × Wii」CMを放送していた。NTT東日本版はSMAPの香取慎吾とIKKOが対決するという設定で放映した。
トイザらスにおいて、本作品を予約すると「ファイテンション☆スクール」(テレビ東京)の特製ステッカーがもらえるキャンペーンが実施されていた。

ディスク読み取りの不具合
本作のプレイ中にディスクからデータが正常に読み取れなくなる症状が発生している。これはWii本体の光ディスク読み取りに使用するレンズの汚れによるもので、本作に使用されている2層ディスクはレンズの汚れの影響を受けやすくなっている。これを受け、任天堂は送付されたWiiのレンズのクリーニングを無償で行うサービスを行った。このことに関する告知は『Wii専用レンズクリーナーセット』が発売される2008年10月半ばまで任天堂ホームページやみんなのニンテンドーチャンネル上などで常時行われていた。


また、アドベンチャーモードの協力には、ソラやコナミ、セガ以外などの会社も協力している。

2009年01月16日

通称は相馬小次郎・滝口小次郎

平 将門(たいら の まさかど 平 將門)は、平安時代中期の武将。通称は相馬小次郎・滝口小次郎。
とまま 月の微笑 アテンポ アトゥドア トリビュ ブイWEB イアリン リスト タンザ マルチ ティック ガーナ デジャブ ぴっこ エミュー レーター マルク レンジャー チータ リーシム タカス イミング チャー オペレ トサミズ イチョウ ワラント ギアサン ミヤマ 一意専 ツァーリ テーマ ネメシア チャック プラグ フレンドリー キープトコ えいち リユース パラソル みるいろ ミル スキーヤー ダイウェブ フリータ カツラ ブラジル レジデント パテ シマル

桓武天皇の玄孫で、平氏の姓を授けられた高望王(たかもちおう)の三男・鎮守府将軍平良将(平良將 たいらのよしまさ/良持=よしもちとも[1])の子。下総国、常陸国に広がった平氏一族の抗争に端を発し、関東諸国の国衙を襲い、印鑰を奪ったことから朝廷から敵と見なされた。京都の朝廷に対抗して独自に天皇に即位し、「新皇」を名乗った。朝廷からの独立国建設を目指したが藤原秀郷、平貞盛らにより討伐された(承平天慶の乱)。死後は御首神社、築土神社、神田明神、国王神社などに祀られる。武士の発生を示すとの評価もある。

父の平良将は、下総国佐倉が領地と伝えられ、佐倉市将門と地名も残るが、根拠となる史料は無い。また、母[2]の出身地である相馬郡で育ったことから「相馬小次郎」と称したとされているが、これは相馬郡に勢力があったということではなく、実際の勢力範囲は同国の豊島・猿島両郡であったと考えられている。将門は地方より平安京へ出て、藤原北家の氏長者であった藤原忠平と主従関係を結ぶが、父良将が急死したために領国へ戻る。以後「平将門の乱」の発端となる争いがおこるのだが、原因についていくつかの説があり、確定はされていない。

長子相続制度の確立していない当時、良将の遺領は伯父の国香(國香)や良兼に独断で分割されていたため争いが始まった、という説。
常陸国(茨城県)前大掾の源護の娘、或いは良兼の娘を巡り争いが始まったとする説(『将門記』などによる)。
源護と平真樹の領地争いへの介入によって争いが始まったとする説[3]。
「源護・源護の縁者と将門の争い」ではないかとも言われている(将門が当初は伯父らと争っているため、「坂東平氏一族の争い」と見られがちだが、国香・良兼・良正は源護の娘を娶っており、将門の父の良将とは違うことから)。
承平5年(935年)2月に将門は源護の子・扶らに常陸国真壁郡野本(筑西市)にて襲撃されるが、これらを撃退し扶らは討ち死にする。そのまま将門は大串・取手(下妻)から護の本拠である真壁郡へ進軍して護の本拠を焼き討ちし、その際伯父の国香を焼死させた。同年10月、源護と姻戚関係にある一族の平良正は軍勢を集め鬼怒川沿いの新治郷川曲(八千代町)に陣を構えて将門と対峙するが、将門は良正の軍をも撃破する。将門に敗れた良正は良兼に救いを求め、静観していた良兼も国香亡き後の一族の長として放ってもおけず、国香の子の平貞盛を誘って軍勢を集め、承平6年(936年)6月26日上総国を発ち将門を攻めるが、将門の奇襲を受けて敗走、下野国(栃木県)の国衙に保護を求めた。将門は下野国国府を包囲するが、一部の包囲を解いてあえて良兼を逃亡させ、その後国衙と交渉して自らの正当性を認めさせて帰国した。

同年、源護によって出された告状によって朝廷から将門と平真樹に対する召喚命令が出て、将門らは平安京に赴いて検非違使庁で訊問を受けるが、承平7年(937年)4月7日の朱雀天皇元服の大赦によって全ての罪を赦される。帰国後も、将門は良兼を初め一族の大半と対立し、8月6日には良兼は将門の父良将や高望王など父祖の肖像を掲げて将門の常羽御厩を攻めた。この戦いで将門は敗走、良兼は将門の妻子(良兼の娘と孫とされる)を連れ帰る。だが弟たち(『将門記』には「舎弟と語らいて」とあり公雅や公連とされている)の手助けで9月10日に再び出奔し将門の元に戻ってしまった。妻子が戻ったことに力を得た将門は朝廷に対して自らの正当性を訴えるという行動に出る。そこで朝廷は同年11月5日に1つの太政官符を出した。従来、この官符は平良兼、平貞盛、源護らに対して出された将門追討の官符であると解釈されてきたが、前後の事実関係とのつながりとの食い違いが生じることから、これを公的には馬寮に属する常羽御厩を良兼・貞盛らが攻撃してしまったことによって良兼らが朝廷の怒りを買い、彼らへの追討の官符を将門が受けたと解釈する説が有力となっている。いずれにしてもこれを機に将門は良兼らの兵を筑波山に駆逐し、それから3年の間に良兼は病死し、将門の威勢と名声は関東一円に鳴り響いた。